写真を撮る楽しみはどこから生まれるのか?

店長エンゾーです。

先日のこと。有志数人で、「ライフログが可能なウェアラブルカメラを開発するならどういう使い道があるか」という話をしていて、ちょっと面白い展開になりました。

「しっかりカメラを構え相手にレンズを向けて撮るのと違い、ウェアラブルカメラなら自然な表情が撮れるはず」
「ずっと撮りっぱなしにできるので、今までなら見逃していたような日常を残せる」
「(容量の問題は置いておくとして)動画であれば、任意の時間にさかのぼって過去を反芻できる」

などと盛り上がっていたのですが、ふと

「それってもう既にGoProで実現しているんじゃない?」

という意見が出て、みんなハタと立ち止まってしまいました。

「いやまあ、それはそうかもしれないけど、でもGoProの連続撮影時間は数十分程度でしょ?もし1週間とか1ヶ月とかっていう長いスパンで録画が可能なら、もっと違う使い方があるんじゃない?」

「そうそう、動画じゃなくて静止画モードだったとしても、絶対いい写真が撮れてると思うし」

そこまで行ったところで、エンゾーが思い出したのが、2009年に発売されたSONYの「パーティーショット(IPT-DS1)」です。


製品は、台座の部分になります。上に載っかってるカメラは、サイバーショットシリーズであれば色々変えられます。これ、カメラを載せた台座が上下左右にクルクル動き、カメラの顔認識機能を利用して自動的に被写体を追尾し、勝手に写真を撮ってくれるというスグレモノ。

こんな感じに動くわけです。

声や笑顔に反応するので、記念写真にありがちな同じアングルだらけになったり、撮影者だけ写っていないといったことがなく、カメラを意識していない自然な表情が撮れるというのが売りでした。

「でした」と過去形なのは、既に生産を終了しており、現在は販売されていないから。価格コムのコメント欄などを見てみると、セットするカメラの性能にかなり依存する部分が大きかったようで、暗いところで追尾してくれなかったり、暗部ノイズが大きかったり、追尾はするけれどシャッターをなかなか切ってくれなかったりと、実際の運用面で完璧とまでは言えなかったようです。

そういう性能面の問題が響いたのか、あるいは、そこそこ売れたけれどもSONYの目論見にははるかに届かなかったのか、スマホに侵食されている低価格コンデジから撤退することを見越して手仕舞いにしたのか。理由は定かではありませんが、とにかく、一代限りのアイテムとなった模様です。

・・・と思っていたら、2013年にコンセプトを引き継いだ「Smart Imaging Stand」が発売されてました。これは現在でも販売を継続中です。

ご覧のとおり、前モデルではカメラが載っていたところに、スマホをつかむアームが設けられています。機能はまったく一緒で、撮影する道具を今風に置き換えた形です。
が、このアイテムもまた、SONYの直販サイト以外ではほとんど取り扱っているショップが見つかりませんでした。

さて。ここで最初のお題に戻ります。
「勝手に撮ってくれるという部分は同じなのに、なぜGoProは大ブレイクして、パーティーショットは受けないのか」

室内専用に近いパーティーショットと、屋外用のアクションカムを同列に扱っていいのかという話は一旦置いておくとして。これ、つまるところ「撮るときに自分の意志がどこまで反映されているか」と言う部分が大事なのではないか?ということに思い当たりました。言い換えるなら「自分事か他人事か」ということ。

たとえファインダーやモニターを覗いていなくても、レンズの向いている方向に自分の目線もあり、撮影が自分の意志によるものであれば、その時カメラマンは自分自身であると言えます。

それに対し、ポンと棚やテーブルの上に置かれて自動的にあちこちを記録してくれるパーティーショットは、そもそも撮影者という概念がありません。自然な表情は撮れているかもしれませんが、そこに撮った手応えや撮る喜びはほとんどないわけです。
なので、後でパソコンに落として選ぶことになるのは「知らない他人が撮った膨大な記録」であって、自分事という意識が薄いものになってしまうのかもしれないなあと、ぼんやり思ったりしたのでした。

もちろん、GoProのようなアクションカムで撮ったエクストリームな映像は、Youtubeなどで積極的に他人とシェアしたくなるという点も、セールスにおいて重要なポイントであるとは思います。実際、いままでGoProが圧倒的なシェアを誇っていたアクションカムのジャンルで、最近初めて、国内限定の話ではありますが、SONYが逆転しました。SONYの底力、恐るべしです。


 

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