30年後に、記録写真は残っているか。

店長エンゾーです。

昨日まで、福岡の博多阪急7Fで、「旧国鉄筑肥線 そこに駅があった」という写真展が催されていました。撮影者の樋口庄造さんは、東京や福岡の制作会社でCMのディレクションなどを長く手がけてこられた方です。
 
樋口さんが1970年代後半から、福岡市内を横断する赤字ローカル線だった筑肥(ちくひ)線の沿線の様子を、どうにか残しておきたいと思い、丁寧に撮り歩いたものが、今回展示された作品群になります。最終的に1983年で筑肥線は廃線となり、線路跡地は一般道路へと姿を変えたことから、それぞれの作品の下には、比較のために、撮影現場の現在の様子も添えられていました。
(このブログへの掲載についても、快くご承諾頂きました。)


(列車の車窓から見えるアパートは、現在も下のように残っている。)

たくさんの記録写真の中には、30年以上前の筑肥線の利用客たちが、今も生き生きと写し出されています。撮ったご本人がまだ現役の会社役員としてご活躍中ですから、写真の中に写っている人のすくなくとも半分くらいは、まだお元気だと思われます。もちろん、今回の写真展を開催するにあたって、一人ひとりに掲載の許可を取るようなことはしていませんし、出来るはずもありません。

実は僕自身、この筑肥線の沿線に住んでいました。近所には、線路が細い川を渡るためのサビだらけの鉄橋があり、橋桁とレールの間には、ちょうど子供が隠れられるくらいの隙間があったので、子どもたちは代わる代わるその狭い空間にしゃがみ込み、轟音を立てて頭上を通り過ぎる列車の腹を、間近で楽しんだものです(いま考えるだに、悪い遊びでしたが)。
樋口さんの作品を見ていると、そんな幼いころの記憶が蘇ってきました。


 
ひるがえって現在。撮影された作品(データ)のオリジナリティが、WEB上にアップされた途端に霧散し、勝手にコピーが増殖していく時代において、動画や静止画に写し込まれた個人情報を保護するために、公的な映像の大部分にはボカシが入れられるようになりました。ニュース番組しかり、Googleストリートビューしかりです。
 
また、今やうっかり人物をスナップしようものなら、盗撮ではないかと怪しまれて訴えられても文句が言えませんし、そういう事例も現実に起こっています。確かに良からぬ輩もいる以上、ナーバスな問題だと思います。

それでも・・・解決策はわからないけれど。こうして30年前の街や人々の何気ない日常を、いま新鮮な感動を持って見ることが出来るように。次の30年後、100年後の人々のために、僕たちは身の回り半径10mの町の姿を、残しておくことは出来ないでしょうか。

いま、後世に残る、人の姿が写った「記録写真」が必要です。
 
 

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