【エンゾーのモノ語り】3. Old Hall (オールドホール)のコーヒーポットと素材の話

【エンゾーのモノ語り】3.  Old Hall (オールドホール)のコーヒーポットと素材の話

【Old Hall のコーヒーポットと素材の話】

僕らの身の回りには、数え切れないくらいのステンレス製品がある。「非常に錆びにくい鉄」として知られているが、生まれたときには既に存在していたし、あまりにも日常に溶け込みすぎて、もはやその素材の来歴を知る機会がない。
ところが最近、ひょんなことから、僕はステンレスが世に広まるきっかけを知ることになった。

事の起こりは、つい先日足を運んだ蚤の市だ。
とあるイギリス専門のアンティークショップに立ち寄った時、所狭しと並べてある茶器の中で、ひとつのステンレス製ポットに目が止まった。


アンティークと呼ぶにはやや工業製品然としており、ミッドセンチュリー感あふれるモダンな佇まいが印象的だった。ひっくり返すと、底面には「18/8 stainless steel Old Hall 2PT」と刻印があった。

縦長で丸っこい形状と、シンプルだが人間工学的にとても理にかなった取っ手が印象的で、どうしても目を離すことができなかった。

蚤の市を離れるまでの約2時間、そのショップには都合3回も足を運び、その度にどんどんそのポットが脳内を大きく占めるようになっていったが、磨き傷がやや多めのポットに付けられた、6800円という金額が妥当なのか分からなかったし、「衝動買いで物を増やしてもよろしいのですかねえ?」という脳内天使の戒めに屈し、後ろ髪を引かれながら手ぶらで帰ることにした。

そう、確かにその時は、誘惑に勝ったのだ。

しかし帰宅後も、あの緩く曲線を描いた端正なフォルムが忘れられない。パソコンを立ち上げ「イギリス コーヒーポット ステンレス」と入力して検索してみたところ…あった。拍子抜けするくらい簡単に情報が出てきた。

あのポットの正体は、かつてイギリスで製造されていた「Old Hall(オールドホール)」というブランドのテーブルウェアのひとつだった。1893年から1984年まで操業していた「J&Jウィギン社」が製造しており、その製品は、世界各国の美術館や博物館に永久展示されているほど評価が高いということも分かった。

そのOld Hall91年間の歴史の中で最もたくさん売れたのが、僕が蚤の市で見つけた「Connaught(コンノート)」というシリーズの茶器たちで、紅茶用やコーヒー用として、実に様々なバリエーションが作られていた。

ひょっとしてと思い探してみたら、なんと、ヤフオクにもメルカリにも、普通に出品されているではないか。さらに、e-bayも覗いてみたところ、それこそ非常にたくさんのOld Hall製品が売りに出されていた。なんだ、やっぱり焦って買わなくてよかったと思うと同時に、既に脳内では物欲の悪魔が天使を殴り倒し、買う気満々になっていた。

改めて思い返してみると、蚤の市で見かけたのは、2PT(2パイント)という容量のポットだった。パイントは日本人には馴染みがないが、イギリスでは普通に使われている液体の単位で、換算すると1136mlになる。

軽く衝撃を受けたのは、この「コンノート」のコーヒーポットに、まったく同じ形状で容量違いのバリエーションが「1PT(568ml)・1.5PT(852ml)・1.75PT(994ml)・2PT(1136ml)」と4種類もあったことだ。いくらなんでも刻みが狭すぎるが、その微々たる差に、大量生産しても問題がないほどの需要がかつてはあったのだということを意味していた。まさに、一斉を風靡していたわけだ。


では、なぜこれほどまでにOld Hallの製品は売れたのだろうか。

これには、イギリスのテーブルウエア事情が密接に関係している。
コーヒーや紅茶を「良い器で優雅に楽しむ」のは富裕層の特権だったわけだが、そのため当時、引っ越しや結婚のお祝いとして銀食器をプレゼントされることが多かった。

ところが、銀製品は時間とともに酸化し、艶が失われてくすんでいく。さらに放置すると黒ずんでくる。この状態で放置するのは「家として恥ずかしいこと」なので、イギリスのご婦人たちはせっせと磨くことになるわけだが、これが結構な重労働なのだ。メンツとステータスのために銀製品をプレゼントされることは、ともすればありがた迷惑ですらあった。


そこに彗星のように現れたのが、「ずっとサビない魔法の鉄」、つまり今で言うステンレスだった。イギリスで発明されたこの素材に「Staybrite(ステイブライト=ずっと輝き続ける素材)」というネーミングをつけて世界で初めて食器に使ったのが、他でもない、Old Hallだったのだ。

その後、さらにOld Hallが「Staybrite」を「Stainless(ステイン・レス=くすみ知らず)」と名称を替えたものが、現代までずっと使われ続けているステンレスの発祥である。
ポットの底面に、Old Hallの刻印の一部として「18/8」と記されているのは、クローム18%・ニッケル8%というステンレスの組成を意味しており、それはOld Hallの誇りでもあったわけだ。

蚤の市で出会い、少しの好奇心で始まったコーヒーポットの探求は、思いもしなかった素材の歴史に触れる旅になった。

今、僕の手元には、最初に見た2パイントではなく、少し小ぶりな1.5パイントのコンノートのコーヒーポットがある。
およそ60年前に作られたステンレス製のポットは、その名の通り少しも色褪せることなく、エスプレッソマシンに給水する役割を担ってくれている。

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